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新刊紹介 『曲直瀬道三と近世医療社会』

◆とてもよい本がでた。武田科学振興財団編『曲直瀬道三と近世医療社会』(武田振興科学財

団、2015年10月20日、非売品、898頁)である。曲直瀬道三・玄朔とその門流が、近世医療において確固たる地位を占めたことはいうまでもない。◆ただ従来は曲直瀬道三・玄朔の著書にみられる医学思想と薬方についての研究と臨床研究などが主であったが、本書は16・17世紀の時代との関わりから、多面的に道三・玄朔とその門流をとらえようとしていることが特徴である。◆本書は、中心的な企画の役割を果たした町泉寿郎氏の二松学舎大学でのCOEプログラム「日本漢文学研究の世界的拠点の構築」が起点となり、国内外の研究者による論文の集成として結実した。その目次は写真にして紹介した。じっくり読みたい論文ばかりである。◆本書のとくに活用できる工夫は、第四章参考資料の曲直瀬玄朔門人索引と曲直瀬道三・玄朔年譜である。索引は杏雨書屋蔵『玄朔門下学生帳』(門人数372)と慶応義塾大学所蔵「玄朔門下法則并誓詞』(675)から収録したものであり、これと、同じ杏雨書屋蔵『当門弟之記』などと照合することで、ほぼ近世前期曲直瀬家門人が網羅できる。それは、近世前期諸大名家に仕えた曲直瀬家の地方門人研究と諸大名家における地域医療の実態研究が進展する。◆たとえば、私が「"江戸前期曲直瀬家門人の位置ー肥前の事例からー」( 『杏雨』 第16号. 132~149 (2013)」であきらかにできたことは、肥前における曲直瀬道三・玄朔門人は17人知られていること、そのうちたとえば佐賀藩医松隈玄湖とその子孫は代々佐賀藩医として活躍し、幕末にいたって西洋医学の好生館の病院長としての松隈元南につながったこと、曲直瀬家門人で朝鮮渡来医師らが近世前期佐賀藩に仕え、渡来の医療技術を伝えたことを、前期佐賀藩医(小城藩医)となった林栄久・林刑左衛門らから発掘し、やがて幕末期には林梅馥という外科医として活躍したことなど、近世前期から幕末にかけて、曲直瀬家門人とその系譜が佐賀藩でも基軸をなしていたことを明らかに出来た。◆このように諸大名家で活動していた曲直瀬家門人を調査することにより、とくに実態解明が不十分であった近世前期の諸大名家での医療実態とその後の医療の展開にせまることができるのである。こうした曲直瀬家を中心とする流れに対し、西洋医学がどのように諸藩に導入されていったか、また地域医療にどのように関わっていったかとみることにより、近世医療社会の地図が描けやすくなる。◆年譜は曲直瀬道三・玄朔の行動について、日付のわかるところはすべて記載しているので、研究の最適な指標となっている。以上の意味で、本書の意義はきわめて高く研究の基本書となるだろう。◆ただし、500部限定・非売品ということが入手困難となることが予想されるので、そのことが残念である。高価本になると思うが、市販が可能になると研究者には裨益するところ大であることは間違いない


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