中部日本の種痘
『天然痘との闘いⅢー中部日本の種痘』(岩田書院、2022年3月刊行予定)は 以下の内容で準備がすすんでいます。新しい史料と発見が一杯のっています。 ご期待ください。 執筆者 題名 【総論】 青木歳幸 01 未 総論・中部日本の種痘...
佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要13号
x-tinymce/html ◆ に寄って『研究紀要』13号(2018年9月30日発行)をいただいてきた。ふつう、研究紀要は年度の最後に出るのだが、センターの紀要は投稿が充実しているので、早めに出版されるようだ。 ◆今号には、論文として、伊藤昭弘「草間直方が語る大名貸の虚...
天然痘との闘いー九州の種痘 Fighting Small-Pox – Vaccination in Kyushu (Tennentō to no tatakai – Kyūshū
Introduction Small-pox in Kyushu Toshiyuki AOKI...
武富文益の墓碑銘
武富文益関連記事続き。大興寺墓地に掘り出された武富文益の墓碑があった。ちょっと刻字が浅くて読みにくい。平川石材の社長さんが白チョークで刻字の上をなぞってくれた、字が浮き出てきた。「先生諱文益、字光卿・皜山、其自號明人十三官裔孫、諱孝述仲子後于寿四郎政得、善毉治無内外諸神、初...
武富文益の骨
5月28日の午後、佐賀駅近くの黄檗宗の大興寺にでかけた。事の発端は昨日、佐賀大学名誉教授の井上敏幸先生から、「骨が出た」という電話をもらったからである。落ち着いて聞くと、大興寺の墓地整理のときに武富圯南(たけとみいなん、幕末の儒学者)の伯父にあたる人物の...
天草の牛痘
天草の大田山種痘所 天保一三年(一八四二)には富岡町と志岐村に疱瘡が発生し、次第に蔓延しはじめ、二月には大流行となり、同所は出入り止めとなり、罹病者は一〇〇〇人余、死者は五〇余人にも上った。 この年、坂瀬川村医師本郷玄成(現成とも)が、役所の許可を得て、隣村の上津深江村字太...
天草の種痘と隔離山小屋
天草の疱瘡流行 天草地方でも天然痘の流行は頻繁に繰り返された。『天草近代年譜』によると、寛政六年(一七九四)に志岐村が一村あげて疱瘡に罹り、享和元年(一八〇一)には、崎津村に疱瘡が大流行し、罹病者は五〇〇人余りに及び、近村や郡中からも助勢がきて、島原表からも医師が来て救護に...
正橋剛二氏と『小石家来簡集』
◆正橋剛二(まさはしこうじ)という富山の精神科のお医者さんで日本医史学会会員がいた。 ◆知り合ったのは、今から約25年前、立山に関する本草学の研究書を読んだことから、当時私が代表をしていた国立歴史民俗博物館の「地域蘭学の総合的研究」(報告書は国立歴史民俗博物館から同名で2...
佐賀医人伝物語 織田良益
鹿島市に織田病院があります。その先祖の織田良益さんの活動を『佐賀医人伝』にまとめました。明治時代に北里柴三郎伝染病研究所の影響をうけ、鹿島市に基礎医学研究のための伝染病研究所と病院を建設した鹿島の医師たちの先駆的活動に感銘をうけます。 織田良益 (弘化四年~昭和一二年、 ...