武富文益の墓碑銘
武富文益関連記事続き。大興寺墓地に掘り出された武富文益の墓碑があった。ちょっと刻字が浅くて読みにくい。平川石材の社長さんが白チョークで刻字の上をなぞってくれた、字が浮き出てきた。「先生諱文益、字光卿・皜山、其自號明人十三官裔孫、諱孝述仲子後于寿四郎政得、善毉治無内外諸神、初受業於野田泉翁中游、于於京師及長崎、取諸家之長而、最善吉雄兄弟、後居浪華名、于時遂廣求於 皇邦古醫方檡氏之書、多所発明技術益進、自謂不𥞴於世之古方・後世・蘭法者矣、病帰家、以天保三年壬辰二月三日没、享年四十二、子女猶幼男曰徳一、著者大学氷檡、醫書要領、霊蘭秘訣」と一応呼んでみた。武富文益は、古方派や後世派医学のほかに蘭方を学び、とくに長崎で吉雄兄弟(耕牛らか)に学んだという。著書もあり、かなりの著名医だったようだ。新たな医師がまた発掘された。明十三官の子孫というのも気になるところである。