医師天野房太郎
天野(あまの)房太郎(ふさたろう)(文久二年~昭和一六年、一八六二~一九四一) 唐津の仁医 唐津藩士の子として産まれ、好生館で修業後、東京で細菌法医学精神学校衛生諸科に学び、明治二六年(一八九三)、波多津村辻(現伊万里市)で開業した。以来三〇年、患者の貧富の別なく、薬代や治...
鹿島藩医師秋永宗寿
秋(あき)永(なが)宗(そう)寿(じゅ)(一七世紀後半~一八世紀前半) 鹿島藩三代藩主直朝侍医 秋永宗寿(鄰周)は、鹿島藩三代藩主鍋島直朝の主治医。当初は佐賀に在住していた。直朝の重大な症状のときには、佐賀から船に乗って、浜町の舟津に上陸して往診したという。直朝が宝永六年(...
皆川淇園はカルテの書き方を教えた
昨日、京都の儒者皆川淇園の門人になぜ医者が多いのか、それは現代におけるカルテの書き方を教えていたからだ、と記したら、廣川和花さんからそれは重要な要素です、詳しく教えてくださいというコメントがあったので、ちょっと専門的になりますが、良い論文を紹介します。◆それは、私の科研費報...