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佐賀大学地域学歴史文化研究センター研究紀要13号

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に寄って『研究紀要』13号(2018年9月30日発行)をいただいてきた。ふつう、研究紀要は年度の最後に出るのだが、センターの紀要は投稿が充実しているので、早めに出版されるようだ。 ◆今号には、論文として、伊藤昭弘「草間直方が語る大名貸の虚実」、吉岡誠也「慶応四年の長崎における佐賀藩」のほか資料紹介として秋山博志「佐賀藩「医業免札」と「病院医員辞令」について」、多久島澄子「前田正名の上州出張記憶書」と「卑見」ー大隈重信のイデオローグが書いた調査報告書ー」、多々良友博「日支組合と南支資源開発(2)」、三好彰「アメリカ人が見た川﨑道民ー万延元年遣米使節団のアメリカ最新医療体験」が載っている。それぞれ力作であり、面白い。 ◆伊藤論文は、熊本藩の備金の準備を決意した大坂の金融業者草間直方の意見書が、熊本藩の利益を守ることと他金融業者の利益を守ろうとするある意味矛盾した内容になっている真意をさぐる。 ◆吉岡論文は、佐賀藩が慶応4年初期段階で去就を明らかにしなかったにもかかわらず、なぜ新政府における「薩長土肥」の一角に...入り込めたのか、その理由を、今までの研究が中央政界での直正や藩士の動きを主に研究が進められてきたのに対し、意外と注目されてこなかった長崎での行動から、その謎に迫ろうとした意欲的な論文。つまり、長崎奉行退去後の長崎会議所へ大隈重信ら有能な藩士を派遣し、開港地長崎において新政府への支持を主導したことが、新政府中枢へ入り込む有効な手立てとなったと結論づけた。 ◆資料紹介として秋山氏は、新たに入手・発見した古川左庵門人斎藤文仙の医業免札を出発にして、これまでに見出された医業免札を書式の変遷を中心にすべて検討し、明治初期の病院医員辞令までを紹介したもの。 ◆多久島氏は、年代不明のため、大隈や前田の研究から漏れていた「上野・下野出張記憶書」は前田正名が明治12年12月調査の原題「上州出張記憶書」であり、「土地開墾奨励法」とは、前田が明治13年1月に調査した「卑見」がもとであったことを、伊万里出身医師峯源次郎「日暦」から裏付けたもの。 ◆多々良氏は日支組合の南支資源開発問題に関係した塚原嘉一郎の資料や上海駐在松井石根大佐関係資料から辛亥革命における革命派への連携を紹介した。 ◆三好氏は万延元年(1860)の遣米使節団に加わった佐賀藩医師川﨑道民についての行動、とくに解剖とか医学校への視察とか新たな医療体験をしていたことを、アメリカ新聞などから紹介した。できれば英文原文も紹介が欲しかった。


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