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井上友庵の医療道具(6)サグリ 産科道具

  • aokireiro
  • 2016年2月7日
  • 読了時間: 3分

井上友庵の医療道具(6)サグリ ◆友庵はサグリを2本購入しています。「但くじら 一 サクリ 弐本  代三匁五分」とあり、クジラ製の道具です。これもやはりミヒェル先生らの調査報告書にでています。久保記念館(福岡市東区馬出、九州大学耳鼻咽喉科)に、「片倉元周(1751-1822)が使用した医療道具(鯨骨サグリ、曲頭管、三稜鍼、ランセッタなど)」と記録されています。一番左側のものが、鯨骨のサグリで、産科道具で妊娠状態をさぐるためのものでしょう。なぜ鯨骨かというと、人体に挿入するわけですから、鉄よりも安全で柔らかい感触の鯨骨が使われたのです。 ◆片倉元周(鶴陵)は、相模の町医から将軍家大奥侍医にまでなった産科の名医です。36歳の時、梅毒に関する『黴癘新書』(ばいれいしんしょ、1786)を出版し、49歳の時、イギリス産科書の産科鉗子の図などの西洋産科学の諸説を引用した産科書『産科発蒙』(寛政11年・1799年)を出版し、日本の産科学を革新しました。第一章に初めて見た囊児(袋状の胎盤に覆われて出産した胎児、幸帽児とも)の術録があります。産婆が芋虫のように蠢い...て生まれ出た産児を見て怪物といい、早く捨てるよう叫んでいたところへ鶴陵が到着しました。見ると膜の中に赤子がいるではありませんか、卵膜を切ったところ、男児がおぎゃあとなきだし、家人は大いに喜びました。産婆は怪物などと言ったことを謝りましたが、鶴陵は咎めず残された胎盤や臍を油紙に置いて観察し、径六寸、紫紅色、裏面は蓮状と記し、臍の茎に三つの孔が通じているのを見つけ、一つは空気を輸し、一つは血液を注ぎ、もう一つは空気と血液を返す孔ではないか、と考えて記録しています。観察眼の鋭い鶴陵でした。 ◆彼の著作に『青嚢瑣探』(せいのうさたん、享和元年・1801刊)という治験記録書があります。彼はそこで、真の医とは、「医は書を読まずして疾を治する能わず、疾を治せざれば書を解するあたわず、能くこの二者を兼ねてのちはじめて真の医と謂うべし、もし、書を読まずと雖も人の疾を治すると謂う者は敢えて然ると謂わざる也」と述べています。学問なくして名医なしと述べた佐賀藩儒者古賀穀堂に通ずる考えです。 ◆この『青嚢瑣探』が佐賀大学地域学歴史文化研究センターにあります。その最初に校訂者として名前のあがる門人横尾斐、西村翰、松村文郁のうち、横尾・松村が肥前出身医師です。『医業免札姓名簿』では嘉永6年内科に横尾丈庵、横尾道碩、横尾柳陽、嘉永7年内科に横尾栄仙、安政2年に横尾柳碩とあり、この誰かでしょう。松村は、嘉永5年内科松村文耕、松村忠庵門人、嘉永5年松村恕庵隠居とありますので、松村忠庵か恕庵と見られます。 肥前から片倉元周に入門して、師の書の校訂をするまでになった門人が明らかになりました。 ◆鯨のヒゲを使った産科道具で有名なのが、水原三折の探頷器(たんがんき)ですが、この話は別の機会にお話したいと思います。地方の外科医は多く産科医も兼ねていました。

 
 
 

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