井上友庵の医療道具(8)ノコギリと麻酔
井上友庵の医療道具(8)ノコギリと麻酔
◆友庵は、ホネヒキノコギリを2挺注文しています。「一 ホネ引ノコ切 壱挺 代拾五匁、 一 同 壱挺 代拾匁」とあります。文字通り骨を引き切るノコギリです。◆江戸時
代に脱疽という主に足先が壊死する病気がありました。炭疽菌に感染したり、血栓による血行障害、糖尿病の進行によっても起こります。◆有名人では、古川ロッパとともに、日本中を笑わせ、喜劇王といわれた榎本健一(エノケン)が、昭和27年に特発性脱疽(バージャー病)を発症し、足指を切断。10年後の昭和39年に再発。大腿部切断。義足でカムバックするも、その後肝硬変で昭和44年になくなります。◆「王将」で有名な歌手村田英雄(唐津市相知町出身、生まれは福岡県)は、糖尿病の進行による脱疽(閉塞性動脈硬化症)を発症し、平成8年(96 年)6 月に右下肢膝下切断、さらに4 年後には左下肢も切断しました。しかし現在は治療法も確立され、煙草をやめれば足の切断はしなくてもくなったようですが、江戸時代から昭和まで意外と患者が多かったようです。◆華岡青洲は、脱疽に対しては、「指の関節...部をコロンメスで骨際まで切り回し、指頭を握りて折る時はただちに離るるなり、また病指を台に載せ鑿を関部の上にあて、槌にて打てば切れるなり」して、と指の切断手術をしました。◆その門下生であった本間玄調(棗軒)が、安政4年(1857)に劇症の脱疽患者二人に対して、麻沸湯で麻酔をかけたうえで、まず一人は膝頭より切り、また一人は脛中から切り取って最初の大腿部からの切断を行い、治療しました。切断手術の様子は、翌安政5年(1858)に刊行した『続瘍科秘録』五巻にカラーで記されています。◆一方で、江戸時代の外科医として華岡青洲と並ぶ名医と知られる佐藤泰然は、麻沸湯によって死ぬこともあるので、私は絶対に麻酔は使わないとして、痛みで気を失わせても麻酔なしの切断手術をしています。◆しかし無痛による手術は多くの患者の望みでした。麻沸湯による麻酔が危険でもあったからでしょうか。蘭方医のなかには、西洋で始まったばかりのガス麻酔を研究するものが現れました。1831年に麻酔の有効性が発見されたクロロホルムを使って、1847年にジェームズ・シンプソンが最初の無痛分娩に成功しました。すると、早くも文久元年(1861)、佐賀出身の医師伊東玄朴門人で、信濃出身の医師須田経哲(泰嶺、佐藤泰然門人でもある)が、吉原の太鼓持ち桜川喜孝の息子由次郎の脱疽手術に、日本で最初のクロロフォルム麻酔を行って成功しています。