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佐賀藩引痘方記録

安政六未卯月ヨリ

引痘方諸控 (印)

徳明(花押)

安政六年未四月十五日

請役所御用ニ而引痘方掛り合一順被仰付候

未五月江戸詰被仰付候 津田春耕

野口文禮

同六月御広式御附被仰付 池田栄庵

同香焼詰被仰付候 石井長庵

右四人最前y懸り合被仰付置候

田原文哉

五月十八日懸り合仰付候 平田亥蔵

同廿二日懸り合仰付候 松尾栄心

三田道筑

右四人四月十五日御達田原壱人懸り合ニ而三人ハ一順懸り合

同日y罷出廿七日帰宅日数三日

一四月廿六日東目村田村出張

再種入テ 惣針百人

手助 鳥巣南洋 日出原 高木令碩

  中原 深川健哉 村田 与賀侍安

代官所 助役 深江平兵衛 

手許 久保儀平

種方トモ 止宿 庄屋宅

一同十七日東目y病苗参り候故ニ自宅ニ而種為相整候

川浪一左衛門様宅中野太郎

先年相済候故凡仮雇ニ成 同小次郎

五月十九日同十三日始り

一川副下郷福江村浄安寺出張免許

東郷四月廿日y種方相始り前会迄ニ而

相済当節y見調子下郷へ参ル

手助 執行春庵 神田調民

   蒲原仲啓 犬塚浩然

代官所 助役 丹羽五郎助 下役

六月即断

中野元立

芦原泰寿

塩田逸圓

右三人五月十八日一順御達

六月二日

一川副下郷同所出張

惣針九拾四人

先達而於好生館種方人数何方も過分ニ有之壱会候而凡五拾人充有之候様同所助役江演達相成居候得共、前会y之訳合有之人数相増候

七月一順懸り合 

石井長庵跡 松村文耕

六月五日 洪水 五月廿二日始り

一小城出張 同

惣針五拾三人

小路市中丈弐百五拾何人願出

六月末近在迄願出凡弐百人

勤医中七人

手助

日数四日達、六月十三日始り六会目、山代郷伊万里迄、凡二千七百人

一有田郷新村出張

惣針五拾七人

手助 播磨殿家来 後藤泰哲

鹿嶋家来 矢沢玄甫

市佑被官 峯柳達

代官所 助役 重松基右衛門 

手許

但シ種病所ハ寺ニ而

止宿 庄屋岩右衛門

同人y為台用 なら茶碗 弐拾ツ

俊哉

同弟子へ 茶わん 十ツ井医師三人y 茶壷 壱ツ

十三日夕方為見物皿山罷出泰哲宅立寄候末止宿、其後不快ニ有之十四日朝飯後y武雄迄罷出十六日帰宅

右不快ニ付十四日夜針医中村養伯参ル

七月七日一順御達

中野元立同断ニ付 納富春碩へ

芦原出張二会目y種不足二付而私領方止ム

一七月四日諫早御蔵入有喜村出張始ル、右者昨年已来私領方へ種次相整居候処、天然痘流行ニ付右種ヲ同所へ申請相成其段代官所y達出相成候由ニ而出張ニ成ル

未七月十七日請取

○一引痘方御合力銀弐拾壱匁四分

右者四月y勤ニ而銀壱枚ツヽ月割之由

膳宿料之義ハ追而被相渡候由也

七月廿日

一川副下郷八田村大懸寺出張

惣針四拾五人

手助之内 執行春庵欠席

助役  石井清八 下役

八月五日 三日相汐y罷出六日帰宅日数四日

一諫早川床村出張

惣針七拾四人

手助 

益千代殿家来 古川立岱 栄正宿

上同 松永均 有喜村

代官所 下役壱人

止宿 田代町米屋

引痘所 川床村西林寺

右者御蔵入十四之村ニ主水殿私領深堀私領入テ十八ヶ村凡七百人差出之内当会迄ニ凡三百人相済

五日朝福田村筆者茂太夫其外并人足参ル、七日夕右筆者其外三人為挨拶止宿へ参ル、其後武富俊隆為見舞参

立岱倅干鮎一提持参

八月二日生レ

一近来流行病ニ付有田郷諫早二ヶ所之義外科中ニ而請持罷越候様達帳ニ成ル

八月五日一順懸り合達シ、冨永文美

但シ科五人内科五人内科中ニ而与賀郷請持

八月十四日十六日y罷在十六日帰宅、日数五日再種廿余人入テ

一山代郷長濱村出張 惣針百

代官所 手許 北御門虎之助

下助 代官安太夫

手助 市佑殿被官静折倅 峯雲臺

小城田尻監物被官 檀文逸

雪斎弟 大庭長伯

病身ニ而御断 郷医良泰 長男市兵衛

右四郷手助三人も出席ニ成ル

右之内峯ニハ最前御達相成居大庭已下三人当節御達持越候処、良泰ニ者病身ニ而御断書附差出候

止宿種方トモ 

小城配分大庄屋 多久間徳之允

右者御蔵入庄屋宅藤津ニ而

道中 北方y向重立候場所

河上 戸坂峠 川古 元部 桃川此間峠三ツ 山形峠二ツ中野原 古賀 

地北 土井町通り伊万里 大里 川東

長濱 楠久 久原

伊万里y西二日尾崎ノ船渡道あり

山代郷惣針凡六百人ノ内配分弐百八拾人計り、前会大里迄ハ有田郷当会y山代郷也、配分之義此節筋〃願出之筈也

九月朔日

一先般流行病悪敷有之諫早并有田郷弐ヶ所之義外科中五人ニ而御持居越候様相達相成居候処、当月y一統八人追廻シ罷越候様達帳ニ成ル

一八月廿八日請役所御用ニ而引痘方懸り合打追居附ニ被仰付候

野口文礼芦原泰寿五人勤揚りニ成ル

九月朔日

一銀三拾匁未四月y盆前迄有田迄出張日数十日分旅宿料相渡ル

内三匁五分充塩田与両人御湯道啓入

九月四日

一与賀下郷飯盛村

手助 副嶋琢哉 中嶋香菴 川崎文敬

東令碩 一兵衛

朔日夜半y罷出四日夜帰宅日数四日

十月三日 

一伊万里郷出張 惣針

止宿 幸善町見有宅

出張所 同所北西家禅圓通寺

種痘所 脇田村外ニ木須村残弐拾三人手助 郷医見有 倅見笠山 娘幸

木須村 檀文逸

土井郷 山口鎌益

上総殿仲小姓此節被仰付候、大木寛良代

代官所 川副忠兵衛 佐藤安太夫

一拾三匁三分 小鯛弐拾ツ

一六匁三分 陶器

一三匁 小遣外ニ弁当

一到来 かたす 郷医良衛y

松茸 大町市郎様

百疋

脇田村庄屋勘右衛門

十月十日

○一七月y九月迄出張日数十一日書出ス

十月十二日晩y出・、十三日朝到着十五日朝帰宅 日数四日

一諫早津水出張 再種入テ六十人計り

(挿入紙)

四日朝田中瀬兵衛参ル、大黒屋恵キ

武雄ニテ濱ノ松尾良右衛門面会、但シ平戸屋止宿・・ 西・原文琴

謙順伝 土火煮 碗 ・ ・樽

大河内郷 平尾 一ノ瀬 宮野 大野

欠席 小代安石

牟田文橋

欠席十三日晩参ル 原田温俊

私領

代官

一十三日朝飯後廣巌寺安勝寺江参り其後武富俊隆宅立寄、土産菓子一箱手拭壱

一素麺壱包私領方y土産用とシテ

一同右 一包 俊隆y

一唐芋百五拾斤 八文ハ合替シテ三米ト壱匁遣ス

十一月二日 日数一日

一久保田出張 惣針四拾余人

香椎社ニ而

手助

十一月廿一日、但シ七月及九月迄日数十日分

一繕籠料銀三拾匁

四家八分七ニ四人都合割合

十一月晦日廿八日y朔日迄日数四日達シ

一伊万里町裏於出張新田・其外 

惣針凡六十人

晦日晩弐艘迄参り不快ニ而同所滞留、十二月五日帰宅、旅籠其外金弐部一朱

一米案代、泊り十壱弐匁五十かへ

鋏弐口コツフ一百疋

・手助伊万里口懸り三人

・手間梅谷

・前田作次郎足病一診ス

一土産料百疋一夜引物・・候ニ付、同所y人足六人差出ス、尤川古之夫筈ハ遣乗

未十一月周防殿孫子引痘

一七才 左右七充 於勇殿

一六才 同 六充 於廣殿

一三才 同 五充 栄太郎殿

一十一才同 十充 朝千代

十二月十二日日数三日

一鹿嶋出張 手男市兵衛并俊哉

止宿 鹿嶋本町善徳寺

心遣役人 代官酒見太郎左衛門

 手助

 仰付達而持越候

八澤謙兵衛

    不快ニ而不罷出候

    千〃岩哲斎

江口道碩

下河邊俊意

迎仲益

 此両人願次ニ而後日被仰付候

秋永仕英

納富宗健

 土産筈銭二束

 十二日仕舞後長寿院殿江見舞へ罷出候、俊意謙寿同道

未三月晦日

一御合力銀弐枚 代銀八拾六匁

右者年ニ三枚之内盆前壱枚相渡り候残也

○同銀弐枚

右者夏比流行病等ニ而・所〃尚更・折候旨を以、増〃御合力之由也

同日

一○半紙二束

右者小城引痘壱度罷出候挨拶之由、聞番城島与四右衛門y手紙附ニ而

同日

一○銀八匁五分

右者川久保引痘壱度罷出ニ挨拶之由

但シいつれ之筋y歟差分り不申候

申正月十日

一神埼出張 手男梅吉 惣針五拾人

出張所 神埼町

手助 鳥巣南洋

髙木令碩

副島益甫

  呂巻

代官所y

    岡部瀧馬

下役―

一正月十三日好生館開講ニ付而領中会業差上并ニ寄宿之人迄御酒頂戴被仰付候役〃之義ハ別段頂戴被仰付候

二日分

二月七日三会目

一横辺田下郷芦原村出張惣針六拾六人

止宿庄屋宅、出張光明寺手助

武田元鳳

平田改造

渡瀬長垣

光武元甫

助役 須古平兵衛

下役

六場所江白石築切村y種子六人種充ニ罷出候

武雄家来医者古賀清介子五才六歳か、植方相願罷出候

道中

芦原 鳴瀬拙 

右ニ塩見山亀山等あり

志田原宿

下熊 塩田  

鳴瀬y二里一丁

鹿嶋 塩田y一里

三日分

二月八日芦原y参ル

一鹿島出張 日数二日 惣針

一素麺一折 下河辺俊意

納富宗謙y

右ハ両人年内世話相成候ニ付菓子一重充、土産差出候末、長寿院殿江菓子二ツ相進ス

一塩から、はつ見 はせ

中野文六y

△一日分

二月十四日

一横辺田芦原村出張 日数二日

一伊万里郷罷越候ニ付二夜泊り之筈候処天気悪敷有之十四日武雄迄罷出候、右ニ付同所y弁当料八匁一兵衛迄遣候由

 一武雄一宿、新平戸(五人前旅籠七匁五分茶代弐匁前、芦原鹿嶋此節相願也懸合申十三匁九部)

三日分

同十六日、但シ十五日夜y二夜泊り手助三人共ニ 日数二日

一伊万里郷山形村出張

 一止宿庄屋兵右衛門宅

 一出張所西念寺

 一菓子料百疋

二月廿日

一神埼出張 日数 惣針

一当会蓮池へ種相渡筈之処、子供延引ニ付廿七日渡札相成候

 一手助之内南洋病気ニ而欠席

 一助役辻喜太殿出張

二月廿七日y須古江参ル 

須古迄日数四日

一横辺田大町出張 惣針五拾三人

 一止宿叶屋辰六宅

 一出張所同町長徳寺

 一助役須古市兵衛下役仁戸田喜兵衛

二月廿八日 前日大町y参り廿八日帰宅、但廿九日迄両所ニ而四日達シ

一須古出張 惣針四拾六人

 一止宿并植方共北嶋村大庄屋外尾運之助宅

 一手助 同所、嬉野寿庵、宮石・・楢崎琢庵 同荒嶋松軒

  外ニ一順金武雄良哲参ル筈之処、不快ニ而外尾文哉参ル

 一当節始り芦原y前会種渡し

三月七日 同日武雄へ参ル 日数二日

一伊万里郷桃川出張 惣針六拾八人

 一止宿庄屋茂左衛門宅植方ともニ

 一代官所下役 清六

 一手助見九月実母死去ニ付而引入達書、種ハ昼y持出ル

一菓子料百疋 仙巻へ一束、又三へナシ

三月八日弐会目 日数二日

一武雄出張

再種数二入テ 惣針五拾人

印鑑札五拾枚相成木村徳之進y預り書受取

 一止宿 別当恵左衛門宅常

 一出張所 正法寺

一掛り役人 左傳太、木村徳之進 

一手油 清水宗安 八並 志田幾庵

犬走り村 中村道軒

イマ 山口笑益 〆四人

一土台 ・茶四袋

 十日朝帰ル

  無昼四匁 又三江三匁

外ニ求物 温泉乃花 一升裏表ニシテ 

代銀六匁  東山二升四袋入ニシテ

      代銀 六匁

九日帰宅之処病臥ニ而十一日迄滞留十二日y白石并鹿嶋へ直ニ罷越ス、平・徳ニ者九日朝帰ル

一西村利右衛門y酒六升肴

一恵左衛門方y菓子一袋

三月十三日武雄y参ル 日数二日

一白石秀村出張 惣針

一止宿植方共同所

一助役 古賀太右衛門

一手助

三月十四日同日帰宅 日数二日

一鹿嶋善徳寺出張 惣針

 一役人

 一手助 七人ノ内

千〃岩哲斎 迎仲益

一土産筈紙二 俊哉、又三、市兵衛

三月廿九日

一神埼浄光寺出張 日数一日

 一助役 辻善太郎

一手助ノ内 副嶋益甫欠席

一手間 謙六  

三月晦日廿九日神埼y参ル 日数一日

一蓮池出張

 一止宿徳万共石川勘兵衛宅

 一手助

 一手男 孫六

〆ル 未十月y日数四十日

閏三月九日 日数一日

一嘉瀬郷力武善福寺出張

 右者川副大應寺ト一会代りニ出張相整候事

 一助役 十兵衛

 一手助 副嶋琢哉、中島雪庵、川崎發、原令碩

 一手男 孫六

 一菓子 一袋充

閏三月十一日

一武雄出張

 一心遣役人 

友永杢之進目附斎藤左傳次

 一手助 清水壮安、志田善庵

 一手男 梅吉、又三

 一止宿 孫庵

 一茶四袋

 一八分

未十月y申三月迄四十日分

一旅籠料銀百弐拾匁

 内銀百匁 

残り弐十匁四月廿日スム内三匁祝イ

好生館取替ニ而閏三月十三日請取

当日参ル

申閏三月十九日則日多久へ参ル 

日数二日

一小城出張 惣針八拾七人

 一出張所 護摩堂

 一役人

 一手助 村田道碩 佐野文仲

     原口養虎 中島需安

外ニ菊地宗恒 元益

 一手男 梅吉 又三

十九日泊り

同廿日 則日帰ル

一多久出張 惣針

 一出張所 三鏡坊

 一役人 沢井泰助

 一手助 山口元逸 鶴蔵六

  尾形良益 岡橋賢道

 一手男 梅吉 又三

 一土産 筈紙二

六日帰り

閏三月廿六日夜帰り 廿日y日数二日

一横辺田出張 惣針百

 一出張所 佐留志分宗光寺

 一助役 副島左源太、

三ヶ嶋一左衛門

 一手助

四人ノ内光武元甫不快ニ而欠席

天然痘流行ニ而廿人丈願・相成手助之義も被相控度願出ニ付、左ノ両人聞合持越候処、佐留之方最早二三会ニ而相済候而一先見合相成候事

上総殿家来

西岡俊哉、小田 

上同 山崎由仙八丁住居

一手男 梅吉

一八日

萬延元年申四月十八日日数 一日

一東目渡瀬村出張 惣針

一出張所 同所西心寺

一手助 四人

一代官所 下役壱人

一手男 長五郎

○申四月

一金子弐百疋 蓮池ニ出張ニ付挨拶、但シ聞番和田主一y手紙附ニ而

五月二日 日数一日

一小城出張 惣針六拾

二日多久可罷越候処洪水同処護摩堂壱宿ニ而翌三日多久罷越

同三日 日数二日

一多久出張 惣針六拾

一出張所 下多久 寺

一手助

鶴蔵六 尾形良庵 岡崎賢達

一土産 筈紙弐

一手男市兵衛

一八分

五月十一日 日数三日

一飯田村出張 吉田村江種移シ五人

一出張止宿共 圓徳寺

一手助

八沢往恭 納富宗俊 飯田 副嶋常悦

一私領代官中野五兵衛

一十一日夜濱止宿手男市兵衛

一濱立寄入費六匁

六月七日 日数三日

一武雄出張 惣針

一止宿別当惣左衛門宅

一出張 正法寺

一代官

一手助 中野道軒 小川清竹

一手男 市兵衛

申六月廿一日 但(〃)シ(〃)二日也(〃〃〃)日数二日

一小城出張 惣針六拾人余

一出張 護摩堂

一代官 市左衛門

一手助 

菊地宗恒 ―元益 中島寿安

一手男 市兵衛

右者一日ニ而可帰宅之処、種子触出シ間違ニ而出張所罷出候義故、延引同晩ニ相成候趣町内かない屋江一宿、代官初手助同道ニ而川原へ納涼

五月廿七日

一銀三拾匁 閏三月中十日分旅籠料

八月廿四日

一同三拾六匁

四月y六月迄十二日分旅籠料

申七月十三日

一金五拾疋 横邊田西郷六ヶ村庄屋中

同十五日

一筈紙三束 同東郷庄屋中

 西郷三ヶ村

同七月

一金子弐百疋 但三度参り候

 塩小鯛一折 武雄y引痘為挨拶

七月

一銀壱枚 好生館y引痘方御合力

代銀四拾三匁 年枚之内

八月初

一同拾五匁 橋下郷庄屋中

芦原村へ両度参ル

十月十七日

一弐百疋 両度参ル

 鯛壱尾 多久y挨拶

十二月

一四百疋 四度参ル

小城y引痘挨拶

同廿日

一銀弐枚 引痘方補御合力

 代銀八拾六匁

右者春已来格別・・ニ付

地行御合力三枚之内六月末転役ニ付盆前壱枚頂戴ス

(蔵書印)

未四月y申六月迄御合力并諸方挨拶金銀合テ凡拾弐両弐部余り、外ニ品物少〃、尤自然痘流行ニ付而格別ニ相行候


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