除き物の研究
◆いささか旧聞に属するが、『日本歴史』3月号の歴史手帖に石田千尋「幕末期の御用誂物と日蘭関係」が掲載されている。 ◆石田氏は、日蘭貿易でオランダ船が持ち渡った品物には、①本方荷物、②脇荷物、③誂物、④献上・進物品の4種があったことを整理している。このうち③の誂物は、日本からの注文品であっても収支にあわない贈り物的なものであったことや幕末期には誂え物のうち御用誂え物の需要が増大したことを述べている。誂物に注目したことは卓見であり、さらなる探求が望まれる。 ◆さらなる探求の方向は、中村質「オランダ通詞の私商売」(中村質編『開国と近代化』吉川弘文館、1997年)で指摘している脇荷のうちの「除き物」と称される私的取引についての研究ではないだろうか。中村氏は、「除き物」が恒常的に持ち渡され、オランダ商館員にも長崎地役人などへも私的利益につながっているため、その除き物が存外に多かったことを指摘している。 ◆たとえば、中村氏は「会社荷物(本方)定高七〇〇貫目のうち一九〇貫目(うち幕府御用物は七貫目余・献上并御進物端物四二貫目余、蘭人着料端物八貫目に過ぎず、他の...多くは奉行以下地役人の除き物、定額五〇〇貫目の個人荷物(脇荷)の「四分の一程」、それに文政の頃から脇荷のほかに「御所望心当」として新製品などを持ち込んだ物を、脇荷「商売高の凡三部の一程」という。単純計算すれば四二六貫目余が奉行所関係者や上級の地役人の「御調」「願請」等に供されたわけである。」と述べている。 ◆つまり、じつは「除き物」の長崎貿易額に占める割合は六割ほどにのぼっていることになる。だからこそ、蘭書の原書や葡萄酒や海外の珍品がオランダ大通詞の吉雄耕牛邸にあふれ、新奇な渡来品が、民間に流れ出たのである。本方荷物についての公的記録による長崎貿易研究だけではなく、「除き物」の実態研究をより詳細に行うことにより、長崎貿易の実態と影響にせまることができるのだろうと考えている。 ◆金蓮玉「長崎「海軍」伝習再考」は幕府型の意図などを新資料により解明し、「安政期における西洋軍事教育改革は、長崎「海軍」伝習を軸として展開したと評価できよう」としている。