烏犀圓と『重刻太平和剤局方』、日本薬局方
◆26日から三日間、野中家史料調査と目録づくり。仮番号をつけたカードと箱の中の史料を見比べて、分類をしていく地味な作業。ときどきさまざまな史料に出会う。昨日は『重刻太平和剤局方』(正保4年・1647)が見つかった。◆写真は、『重刻太平和剤局方』のなかの烏犀圓の成分を紹介した部分である。硫黄、水銀、附子、川芎、石斛、蝉殻、龍脳、朱砂、雄黄、肉豆蔲仁、牛黄、膩粉、当帰、烏犀、天南星、天麻、阿膠、川鳥、陳皮、白花蛇、鳥蛇、白殭蠶、半夏、羚羊角、乾蝎、独活、藿香葉、萆薢、肉桂、麻黄、白附子、細辛、防風、槐膠、縮砂仁、沈香、麝香、晩蠶蛾、木香、白朮、桑螵蛸、厚朴、人参、天竺黄、乾畺、茯苓、藁本、蔓荊子、枳穀、敗亀、虎骨、何首鳥、丁香、白芷、狐肝 以上58味から成るのが烏犀圓で、胃腸薬としての機能が高く江戸時代は評判の名薬であった。◆西洋医学を学んだ佐賀藩の医師たちは、オランダのアムステルダム薬局方などに学び、薬品の基準づくりを始め、明治元年(1868)に、毒性の強いと考えられた烏犀圓中の水銀、軽粉、白附子の三種の薬物を排除することを命じた。そのことを、以前、野中家蔵『永代日記』の記述から紹介した。◆これは、日本薬局方のできる20年前のできごとであり、その後、日本薬局方の成立には、初代東京司薬場長となった永松東海ら佐賀藩出身者が多く関わっていた。◆佐賀藩好生館で、施薬局をつくり、西洋の薬局方に準じて、藩内で販売を許可する薬について薬品成分も検査するようになり、明治元年には野中家の薬である烏犀圓の成分に含まれている水銀や白附子を禁止したことが日本薬局方の先駆的事業であったと考えられる。◆他藩において、このように江戸時代から明治初年に藩内での販売薬種に対して、成分までを統制した事例がほかにあるだろうか。知りたいものである。